感想記事 / 本

悪霊島

少年向け冒険小説のエッセンスをひとふり

宙組公演を見るために梅芸へ行く道中で、梅田の紀伊國屋で購入。あんまり(というかほぼ全く)来ないし出口が複数箇所あって通路が変な伸び方をしているので、レジが終わった後に「どうすれば元いた出口に戻れるの🙀⁉️」状態でした。方向音痴です。

上下巻あると読むのに間が空いて通読できないのではないか、と思っていたのですが、『病院坂の首縊りの家』で全然一気読みできちゃうなと悟り、続いて『悪霊島』にチャレンジです。


あの島には悪霊がとりついている――額から血膿の吹き出した凄まじい形相の男は、そう呟いて息絶えた。尋ね人の仕事で岡山へ来た金田一耕助。絶海の孤島を舞台に妖美な世界を構築!

金田一耕助シリーズの中で最も遅くに出版された本作は1980年刊行(舞台自体は1960年代後半)と現在にだいぶ近いものになっています。人は故郷を離れ都会で働き、島はリゾート地開発とだんだん都市化されゆく中で、金田一耕助だけがぽっと時代に取り残されているような錯覚を受けます。

上巻を読んだ時点では「イマイチ殺人が少ないな」とモヤついたりしましたが、過去の殺人も含めると最終的には犯人たちによって9人殺された計算になるため、金田一作品の中では比較的よく殺されている方かもしれません。ただし現代軸で殺されるのは2人だけなのでちょっと控えめです。

導入の長さのわりに着地点が安直というか、キャラクターが安直というか、ここ最近読んだ金田一作品と比較した場合『不死蝶』よりは面白いけど『仮面舞踏会』『病院坂の首縊りの家』のほうが面白かったです。

とくに『病院坂の首縊りの家』は怪奇さや陰鬱なグロテスクさを損なわないままに、金田一シリーズでしばし表面化しがちなステレオタイプの男女観と真逆のキャラクター造形に惹きつけられたので、『悪霊島』でまた紋切り型に戻ってしまったという失望があります。

まず相当の人数を殺した割には巴に人間味がなく、事件ありきで性格が後付けに感じてしまいます。『悪魔の手毬唄』で横溝は犯人たるリカの内心を直接描かないことで、却ってその気持ちを読者に推し量らせるようにしていたのに、『悪霊島』では巴の内心(も吉太郎の内心も)が詳らかに書かれすぎており、舞台装置的になっています。謎は残らないようになっているものの設定先行なキャラ造形に思いました。

また、巴はシャム双生児として生まれた太郎丸・次郎丸のことは殺害後手厚く祀っていたのに、片帆の死骸は犬と烏に食わせたままにしておき、そのことへ何の感慨も持っていません。つまり生まれた子であれば皆大事というわけではなく「越智竜平との子であったこと」が大切だったと考えられます。

しかし上巻においては(下巻との落差を際立たせたいのか)気品溢れる御寮人としての顔しか描かれないため、越智竜平が島へ帰ってきた時の反応が薄く見えてしまい、結果として裏表があるというより上下巻で性格変わったな?となってしまいます。

本作において巴→越智竜平の感情表現が無さすぎて、「シャム双生児の骸を祀っている」という事実が理由なき気狂いアピールになってしまっています。※むしろムキムキ男のちんぽに狂ってて真逆だろとすら感じる

面白い部分ももちろんあります。

磯川警部の個人的な事情が語られており、金田一&磯川警部のコンビが好きな人向けのサービス精神が感じられます。ただ私は『悪魔の手毬唄』での磯川警部をぶっちゃけそこまで覚えておらず(むしろ病院坂を直前に読んでいたので等々力警部のほうが覚えてた)、「こんな人いたな……」くらいの温度感になってしまいましたが……。

終盤の鍾乳洞の場面は、『八つ墓村』『不死蝶』でも見かけたお決まりのシチュエーションではあるものの、今作ではより怪奇マシマシ、少年向け冒険小説のエッセンスをひとふり!ってな具合で過去作とはまた違った趣がありました。

鍾乳洞の奥でシャム双生児や過去に殺された男たちが白骨人形となって吊るされている……という場面については、直近で宙組版『黒蜥蜴』に通っていたため黒蜥蜴の美術館を想起しました。巴が子供じみた女であることから、この鍾乳洞の白骨ディスプレイも『八つ墓村』の甲冑よりももっと子供騙しな感じがして、好き嫌いは分かれるかもしれません。
私はちょっとやりすぎてチープなほうが昭和を感じて好きです。


次は一度読んで我慢ならずポイっと投げちゃった『三つ首塔』に再チャレンジするか、由利先生シリーズに手をつけるか悩み中です。

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