読書遍歴を振り返る
露出狂が鎮座している
びっくりするほど長くなってしまいました。自分語り楽しすぎる。 ほどほどに薄目で読まないと、露出狂が鎮座しているのでお気をつけください。
前提
- 私は1999年生まれ、現在27歳
- 女
- よく出てくる母は1973年生まれ、高専建築科出身
幼少期
絵本が好きでした。特に『いつまでも すきで いてくれる?』『100万回生きたねこ』『ぼくのパパはウルトラマン』が好きでした。この中だと『いつまでも すきで いてくれる?』だけ知名度が一段落ちると思うのですが、今調べてみると私が生まれた翌月に発売された絵本で、おそらくある程度自我が芽生えたら読み聞かせたろうと親が購入したのでしょう。
幼稚園でも超内気でぼっちで絵本を読んでいたらしいです(年長の時に大阪→東京に引っ越したので、そんな旨がお別れアルバムに記載されている)。通園+ベネッセのこどもちゃれんじをやっていて、ひらがなカタカナが読めるようになるとイキってペットボトルの裏の成分表記とか音読していた気がします。
👆補足として、都会の小受中受キッズとは違い勉強ができる等は全くなかったです。
小学校低〜中学年
小学校2年生の夏まで東京都板橋区の公立小学校に通っていました。この学校が全体的に学級崩壊していたので適合して凶暴な性格になり、今に至るそうです(母談)。
小学校低学年って昼過ぎには下校していた?のですが、学童組が夕方まで学校に残っているのを大人っぽくて羨ましく思っていました。で、申請すると単発で学童が利用できると教えてもらい、母にお願いして単発利用をさせてもらいました。学童は校庭で遊ぶか図書室で遊ぶか選べて、運動音痴インドア一本の私はもちろん後者を選びました。
ほんで「図書室なるところには大量の本がある」と知ります。ここでポプラ社の 『ふーことユーレイ』シリーズを読んだのが一巻の始まりというか終わりというか、もう本作の結末も全然覚えちゃいないのに「死ぬ(死んでる)男と残された女」というシチュエーションに人生を賭けてどハマりしていきます。
次に 『レインボーマジック』シリーズという妖精の出てくる児童書にハマります。これは新刊が出るたびに買ってもらっていた記憶があるのですが、Wikipediaを見てみると2007年前半までのタイトルにしか覚えがないため、小2〜小3の間に読んでいたようです。
王道の 『黒魔女さんが通る!!』『若おかみは小学生』も小2〜小3にかけて読んでいました。どうでもいいけどこの2作のうち前者の方が好きな女ってみんなオタクになってませんか?(偏見) 他児童文学でいうと 『妖怪ナビ・ルナ』『デルトラクエスト』『トルストイ童話集』等々読んでいたのですが、『ハリー・ポッター』シリーズはなぜか通りませんでした。多分、カタカナで登場人物がいっぱいいると覚えられなかったからだと思います。
あまり当時の記憶がないのですが、私は『レインボーマジック』シリーズに限らず色々な本を母にねだっていたようです。専業主婦の母は困った結果「家にある自分の本を読ませよう」と思い立ちました。
この時最初に読んだのは田中芳樹『薬師寺涼子の怪奇事件簿』です。 👈思い切りがよすぎる ※これを書くにあたり母に確認したところ「1巻完結型だから続きがない!と騒ぐ事がないと思って渡した」らしい
講談社NOVELSから出ていた本作は二段組でボリュームがあり、あとそもそも霞ヶ関を中心に話が進むので小学生ではわからない語彙が多すぎて、母に「これは何?」と聞きまくるので青い鳥文庫と比べると格段に消費スピードが落ちました。
当時の私はガチで友人0人であったため、休み時間も帰宅後も全ての時間を読書に費やすことができました。この時小3か小4でしたが、それまで読んできた児童文学もオカルトやファンタジー作品が多かったので、薬師寺涼子シリーズに出てくる人ならざるものに興奮しまくりでした。
薬師寺涼子も読み終えたから次の本が欲しいと騒ぐと、当時「分裂」まで刊行されていた 『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズを貸してくれました。 今振り返っても母親がベストチョイスで、薬師寺涼子と涼宮ハルヒって女キャラクターを16タイプで分けた時に絶対同じカテゴリになるだろうという女です。当然ハマりました。 本の読み方(?)をよくわかっていなかったので、私にもいつかキョンや泉田くんのような呆れながらなんでもワガママを聞いてくれる男が現れると思っていました(!?)
また、母は「昔読んでいたラノベの続編が出た」と言って 『封殺鬼〜鵺子ドリ鳴イタ〜』を買ってきました。家には『封殺鬼』シリーズが数冊だけあり、1巻の『鬼族狩り』しか読んだことのなかった私はこれを機にシリーズを図書館で借り、通読しました。 『封殺鬼』自体は群像劇ですが「鵺子ドリ」シリーズに限って言えば主人公は桐子で、なんとびっくりこれもハルヒ・お涼タイプの女です。
この頃には読書の趣味が完全に母親によって「染まった」状態になっていました。
小学校中〜高学年
ハルヒを渡して娘もどうやらラノベが好きそうだとわかると、母が次に勧めてくれたのはあざの耕平 『BLACK BLOOD BROTHERS』でした(当時『東京レイヴンズ』は未刊行)。主人公のミミコはハルヒとはだいぶ違うタイプでしたが、それでもどうやってこんなにおもろい女が出てくるラノベをぽんぽん見つけてたんや?
『BBB』が面白かったので同作者の 『Dクラッカーズ』も母に借りました。『BBB』の方がヒーローポジション(ジロー)がかっこいいので好みではありましたが、Dクラの方がサブキャラは魅力的だと感じました。
ここまで来るとなんでも読ませてくれそうな母ですが 『されど罪人は竜と踊る』のガガガの真っ青な表紙を見て「それを読みたい」というと「教育に悪いからダメだ」と言ってきました。
教育に悪いからダメ
👆こんな感覚あったんだ!?!?!?!??!
銀魂もハルヒも読ませてくれたのに!?(というわけで『され竜』を読んだのは小6になってからでした)
小4の夏休みに名古屋へ引っ越すと、家から図書館が近くなりました。この頃母の蔵書だった茅田砂胡 『クラッシュ・ブレイズ』シリーズを読んでいたのですが、前作を知らないためなんのこっちゃというポイントが結構ありました。前作は処分してしまったというので、図書館で 『スカーレット・ウィザード』シリーズを通読しました。
図書館に通っていると目につくコーナーに 『怪談レストラン』シリーズが並んでいました。今振り返るとかなりヘンなんですが、当時は茅田砂胡作品と児童書を交互に読んでも自分の中で違和感はなく、どっちのことも楽しんでいました。
高学年になると母の「個人的一軍ラノベ」は読み尽くしてしまったので、「母的にはそんな刺さってもないけど家にあるやつ」も読み始めました。この群に含まれるのが 『レンタルマギカ』『9S』『心霊探偵八雲』『文学少女シリーズ』、赤川次郎の 『吸血鬼』『泥棒』シリーズなどなど。 このうち完結まで読んだのは『レンタルマギカ』だけで、あとは途中から自分で買うほどハマったというわけでもなく読まなくなってしまいました。ただ赤川次郎は中2くらいまではぼちぼち読んでいました。
また小5〜小6にかけて小野不由美『悪霊シリーズ』が 『ゴーストハント』としてリメイク刊行され、漫画と『悪夢の棲む家』しか読めなかった不幸を乗り越え(?)とうとう元シリーズに触れられるようになりました。嬉しすぎて新刊が出ると即買ってもらっていました。
同時期、お小遣いで綾辻行人『Another』や西尾維新『クビキリサイクル』を買ったりしたのですがどうにも母が勧めてくれる本たちほど面白く感じず、「どーすれば面白い本を探せるの!?」と悩んでいました。
中学生
中学生になったタイミングでノートパソコンを買ってもらい、ラノベはあまり読まなくなってしまいました。夢小説にどハマりしたからです。 明け方の4時までテニプリと戦国BASARAの夢小説を読んだりしていました。特にBASARAはトリップ物が好きでYESトリップ・NO転生というこだわり(!?)はこの時期に生まれています。
また夢小説は読むだけでなくナノ(という携帯小説用の個人サイトを簡単に開けるサービス)で自分で書いてもいました。書くうちに自分の文章が拙くて悩むようになってきました(👈今は拙かろうがなんだろうがそこまで悩むことがないのでむしろ退化を感じます)。 どうすれば上手い文章が書けるのか?を考えると、そもそも「上手い文章」を読んでないから書けないのではないかと思い始めました。では「上手い文章」はなんなのか? 当時中1か中2だったので浅い思慮で悩んだ結果、「まあ教科書に載っている人たち=文豪は文章が上手いだろう」と考えました。
中2の思う文豪といえばまず何をおいても太宰です。『人間失格』『斜陽』を読みました。中2ゴコロに『斜陽』は夢小説創作に活かせそうだと思っていました。なんで?? 太宰とくると次は芥川です。新潮文庫から出ている『羅生門・鼻』を書いました。あまり夢小説創作に活かせなさそうだと感じました。
母は急に近代文学を読むようになった娘を見て驚き、「どないしたん?」と心配してくれましたが、中学生心理として「夢小説を書いてるから文章が上手くなりたい」とは言えず「オトナになったから背伸びをしたい年頃だ」などと無理筋の主張をしていました。
本屋で角川文庫の棚を見ると可愛いカバーの本が紛れていることに気づきました。「かまわぬ」コラボの和柄カバーです。これに惹かれ、中勘助『銀の匙』・川端康成『雪国』・江戸川乱歩『芋虫』・田辺聖子『落ちくぼ姫』等を揃えました。見ての通り一貫性ゼロの完全ジャケ買いです。 全部読み終わる頃には夢小説をうまく書きたいという当初の志はけっこー薄れており、またいろんな本が読みたいモードに入っていました。
で、表紙にこだわらなければ古典的名作はブックオフで安く買えると気づき、『こころ』『檸檬』『春琴抄』『海と毒薬』『蟹工船』等脈絡なくバラバラと買い漁りました。とりあえず国語便覧に名前が載ってるなくらいのノリで手に取ってました。
ある時本屋で真緑の背表紙で目を引く文庫本がありました。新潮文庫が限定カバーで出していた、寺山修司『書を捨てよ町へ出よう』です。寺山修司は便覧では「身捨つるほどの祖国はありや」の短歌のみ掲載されており、トンチキおじさん周りの説明は何もありませんでした。
中学生と寺山修司の取り合わせは非常に悪いです。「父親をぶん殴れ!母親とセックスだ!」という寺山修司的ロックンロールに中学2年生は「うお〜〜〜!!!かっけ〜〜!!!」となり、寺山修司に大ハマりします。
私の両親は歳の差婚で、母は1973年生まれですが父は1960年生まれです。寺山修司(1983年没)は母からすると「なんか変なおじさん」くらいの認識ですが父からすると「世の中に迷惑をかけまくったキチガイジジイ」という認識だったため、珍しく父から「そんな本は読んでも面白くないだろう」的な感じで諭されました。
しかしその後も角川文庫の『幸福論』『毛皮のマリー』『寺山修司少女詩集』『寺山修司青春歌集』等を読みました。このうち『青春歌集』で初めて現代短歌を読み、短歌って面白いぞと気づきます。
そこで寺山修司の何かの本に載っていた塚本邦雄について、(多分寺山修司が彼のことを面白おかしく書いていたので)彼の短歌を読もうとひとまず図書館で借りてみたのですが、読解が難しくて挫折してしまいました。
しかし短歌自体への興味は衰えず「もうちょっと読みやすい現代短歌で、いい歌を書く人はおらんのか?」と思ってググり、笹井宏之にぶつかります。
笹井宏之はこの当時第二歌集までが書肆侃侃房から刊行されていたのですが、変形の超おしゃれな冊子であることの代償に中学生のお小遣いで買うには少々厳しい値段(1500円。当時のお小遣いは月1200円)で、血の涙を流しながら第二歌集『てんとろり』を書いました。
第一歌集はいつか中古で安く買えるかもしれない、と思ったからです。結局就職してから蒲田のくまざわで買いましたが……。
章のはじめにラノベを読まなくなったと書きましたが、『はたらく魔王さま!』『パパのいうことを聞きなさい!』は読みました。当時の中学校でなぜかこの2作の回し読みが流行っていたためです。
他にも自分で面白い作品を開拓する力をつけたいなと思い、ちょうど中3の時にできた新しいレーベル・新潮文庫NEXから『いなくなれ、群青』『坂東蛍子、日常に飽き飽き』『知らない映画のサントラを聴く』を購入しましたがどれも刺さらず、やっぱりママレコメンドに勝る本はないのか!?(泣)と凹みます。
同じようなタイミングで電撃文庫の紅玉いづき『ミミズクと夜の王』『MAMA』も買い、こちらは当時ドバドバ泣きました。読み返したいとはあんまり思わんのですが中学生の感性に刺さる本でした。
高校〜大学
高校生(というか高専生)になると片道2時間半近い通学+土日はアルバイトを始めたため、本を読む時間がとれなくなってしまいました。ただこの時はまだ寺山修司を尊敬していて、「『読書は人生を降りている時の楽しみ』なんだから無理に読まんでいいや」と思っていました。
夏休みは多少時間がとれたので、『海と毒薬』『死者の奢り』のどっちで読書感想文を書くかギリギリまで悩みました。あと図書委員になるとクラスごとの予算から自由に本を買えたので、母校に無駄に萩原朔太郎に関連した蔵書を増やしたりしました(自分もあまり読んでいないのに……)。
高専はあまりにも理数系科目ができず、人間関係もあまり馴染めなかったのでこのままでは大学に進学できないと判断して休学し、高卒認定をとって女子大の日本文学科へ進学しました。三十六歌仙を覚えたくないから理系に進学したのに文系に戻ってきてしまった……と入学当初はウジウジメソメソしていましたが、優しい女の子が多くてのびのび過ごすうちに都合の悪いことを大体忘れました。 そのためこの辺の記憶が小中学校時代以上にあやふやです。
私は古文(特に平安文学)がやや苦手だったのですが、日本文学科に進学したからにはいくら賢くない大学だろうと最低限は読まないと単位が取れません。しかしうまいこと履修を組むことで『源氏物語』を避けることに成功しました(賢くない大学の賢くない所以)。
代わりに『和泉式部日記』を通読することになったのですが、学期末のレポートの出来がカスだったようで61点「可」で成績が返ってきました。
大学のどのタイミングか忘れましたが必要に駆られて『動物化するポストモダン』『アフター・リベラル』『ラノベのなかの現代日本』等の新書を初めて読みました。ラノベについてはそれで単位をとった科目が複数あり、レポートのために『ライトノベルよ、どこへ行く』や『ライトノベルから見た少女/少年小説史』他諸々を揃えました。
ここで「頭良くないし、新書読むのってそんなに好きじゃないな」と感じます。しかも講談社現代新書ならまだしも青弓社の本は定価で2000〜3000円台と決して安くないです。ほなら図書館で借りたらええ、という話ですが、直前にレポートを書くスケジュール破滅人間は貸し出し戦争に勝つことができません。しょうがないので毎度丁寧丁寧丁寧に買ってたのですが、今となってはむしろ読み返したい時に家にあってラッキー♫と開き直っています。
大学生の時は2.5次元舞台にハマっていて金がなかったのですが、足を洗ったタイミングでお金にちょっと余裕ができて「また現代短歌を買ってみようかな」と思い始めます。
ネットのどこかで木下龍也のゴジラの歌を見て気になっていて、それなのになぜか『今日は誰にも愛されたかった』を買いました。この時谷川俊太郎の詩を教科書以外で読んだことがなかったので『朝のかたち』や『空の青さを見つめていると』を購入して読みました。なんか木下龍也の書く歌のオシャレ度が高すぎて、非モテ女が買うにはハードルを感じたんだと思います。遠回りしてしまいました。
私は大阪から京都の大学に通っていたのですが、「空きコマを作らない」をモットーに講義を受けていました。他学科の専門授業を受けると一般科目の単位として計上することができたため、空きコマをなくそうと英文学科の授業も複数とっていました。
ところで、よく「女子大というとリベフェミガンギマリの教授陣」というイメージがネット上には散見されます(私が現役大学生の時は今ほど盛んには議論されていませんでしたが)。振り返って見ると日学の教授陣は男女半々だったこともあり、また大学で学ぶ平安文学は実質女流作家の独壇場でもあったためそういう雰囲気はなく、一方で英学の教授陣はかなりリベフェミ寄りだったなと思います。
まず金曜の空きコマを埋めるために『フランケンシュタイン』とその著者メアリ・シェリーにまつわる講義を通算で2科目受講しました。レポートじゃなくてテストで単位が出るので個人的には激アツ講義でした。大人になってから読み返すと確かにめちゃめちゃ面白かったのでもっと真面目に話を聞けばよかったです。
シェリーを知るとなるとウルストンクラフトやバイロンも避けて通れずなんかちょこまかやった気がしますが、不真面目だったのでこれも覚えていません。
他に外国文学で表象される女性について学ぶ講義があり、これで興味を持って澁澤龍彦『世界悪女物語』や三枝和子『ギリシア神話の悪女たち』を読みました。あとそもそもの前提知識がFラン私文生には不足しているとお怒りがあり、『神統記』『仕事と日』『失楽園』は講義の中で読んだ覚えがあります。読んだことは覚えているのにこちらも内容を何も覚えてませんが……。
そんなわけで大学はサブカルチャースターターセット程度の知識をポンと私に渡してくれて、そのまま4年で卒業し、なぜか通信系企業にシステムエンジニアとして就職しました(?)
ばばーっと勢いだけで大学までを振り返ると7000字超。ここまでお付き合いしてくれた人がいるのかわからないのですが書いている本人は超ハッピーです。学生時代の方がお金がないのにまだ評判の固まっていない新作にチャレンジしたりしていて、このチャレンジ精神を忘れずに歳を取りたいです。
ちなみに今のブログは金田一シリーズの感想だらけですが、ハマったのは労働を始めてからで、学生時代は「父親が映像を見ているブキミな作品」という印象しかありませんでした。
